窓付きの、

人生の備忘録までに。とくに面白いことは言いません。

近似

 

 

「哀切を怒りで近似しない」
という言葉が好きで。

 

何されても怒らない穏やかな心を持とう、

という意味ではなくて。


簡単なことは選びやすい
だからこそ、その選択に膝を折らないでいよう、
という考え。

 

感じているのが果たして本当に「怒りかどうか」は
自分自身で見極めたいものですね。人間なので。
(大凡「哀」か「切」に分解される気がする)

 

怒りは手段であって目的ではないから

それがすり替わってる人を見ると

かまけてると思ってしまう

 

 

人の悪口もそう

人の悪いところを その人のいないところで

言うこと自体が目的になっている場面がある

そうじゃなくて その先に何か

解決という目的があればいいのだけど

 

 

あの人はきっとこうだよ

こういうところがあるもの

ね、そう思わない?

 

というのをなんでわざわざ

人とシェアせんといけんのやろう。

それぞれが思っておけばいい。
 

哀切が怒りに近似されずに

咀嚼して哀切だったら

シェアしてもいいと思う

 

痛み分けは 社会的生物が 身を寄せて生きていく術

でも 歪んだ同調圧力は 人間の汚いところ

 


怒りの感情自体が悪いわけじゃなくて
もっと咀嚼したその先にこころの正しい反応が
見えることもたくさんあるよね、

怒ったらそこで頭打ちやけなぁ

の話でした。

天幕

 

七尾旅人の「サーカスナイト」は名曲で。

最近では毎日必ず聴く

 

特に 青葉市子のカヴァーのものが好き

 

 

 

https://youtu.be/vgxsj6rIraM

 

Oh baby 今夜のキスで 一生分のこと 変えてしまいたいよ
ここは 楽園じゃない だけど 描ける限りの 夢の中
目の前で 魔法が解けてゆく 焦る気持ちだけが 言葉つなげ
君を抱きしめるたびに 綱の上で揺れる Circus Night

 

Tight rope dancing Baby 今夜だけ 辿り着きたい ピエロ
Tight rope dancing Baby 今夜だけ 生き延びたい ピエロ
Tight rope dancing Baby 今夜だけ Baby 今夜だけ Baby
Tight rope dancing Baby 今夜だけ 生き延びたい ピエロ
Oh baby 魔法が解けてゆく

 

 

宵闇が 僕らを包んで 天幕の中みたい
僕は冴えないピエロであなたはFearless Girl Circus Night
どんなにそれが絵空事でも 飛ぶしかない夜
君がほしい 口づけてしまいたい 幕があがる Circus Night

 

 

Oh baby 今夜のキスで 一生分のこと 変えてしまいたいよ
ここは 楽園じゃない だけど 描ける限りの 夢の中
目の前で 魔法が解けてゆく 焦る気持ちだけが 言葉つなげ
君を抱きしめるたびに 綱の上で揺れる Circus Night

 

Tight rope dancing Baby 今夜だけ 辿り着きたい ピエロ
Tight rope dancing Baby 今夜だけ 生き延びたい ピエロ
Tight rope dancing Baby 今夜だけ Baby 今夜だけ Baby
Tight rope dancing Baby 今夜だけ 生き延びたい ピエロ
Oh baby 魔法が解けてゆく

 

 

 

梔子

 

 
同世代の人の自死が続いた

 

これ以上生きられないと
判断したほどの苦痛があったなら
今、その選択を経て少しでも
楽になっていることを願うばかり


ただ、いずれ必ず来る死を
自分で早めるという以外の選択を
周りに奪われていたなら 胸が痛みます

 

「なぜ死んではいけないのか」

 

という議論自体には少々疑問も感じます

要不要論と幸福論が
並行して交わることのないように

自死が「罪」であるかどうかという議論であれば
「(生が道徳的であるという前提で)
社会的に基づく倫理観で判断すると」罪かもしれません


そもそも倫理という概念がなければ
非倫理だとされることを位置付けられないので
倫理という言葉が存在するのは仕方のないことですが、
(これは、差別という言葉が差別的ではないかという議論に
 似ているかもしれない)
それでもたまに、倫理て何やねんと思ったりします


自死を「選んではいけないのか」という議論であれば
私は強くノーだと言いたい。
誰しもが生きて死ぬ自由がある


死は必ず来る

死は生の対極じゃない

死は必ずしも生の延長にない

生が死を含有してるだけ


多様性が認められるこの時代に
倫理もひとつアップデートされることを強く望みます

 

 

夜蝉

 


どこからか家に帰るときに
一駅前で降りて歩くのが好き


それが夜なら殊更。

 

最寄りの駅から家までには大学があって
大きな楠木が立っている

バスに乗る予定もないのに
すこしバス停に座ったりする

 

夜蝉が鳴いている

 

思い返せば
夏はずっと苦手だったけれど
蝉は好きだった

 

小学生の時に
蝉で母が呼ぶ声が聞こえないという
短歌をつくり、賞をもらったと思う
(祖父に大きく手直しされたけれど)


そんなことをぼんやり思い出しながら
少し汗ばむ髪を もう帰るだけだし、と
適当にひとつに縛る

首に風と音が抜けていく


 

この半年間、本当にいろんなことが起きた
わたしを含めた人類すべてに。

 

いつも 事実と真実が混同してしまわないように
気をつけているつもりだけど、もういちど篩に掛ける


変わったのは 地球で、社会で、暮らし方で。
変わらないで済んだのは 自分


夜蝉も 生きて鳴くだけ
私もそう


大小問わず、ご無用なことに心乱されることがないよう
これからも変わらず生きていこう

(無用じゃないことに心乱されるのはだいすき)



窓付

 

Weblogを始めようと思います。

10年前くらいはAlfoo(懐かしい)でやっていた気がするのだけど

 

SNS不精な私には

書いても書かなくても

誰かが見てもいいし見なくてもいいくらいが

ちょうどいいかもしれない

 

日記帳には、書けないことを綴っている

ここには書けることを綴ろうかな

 

365日 四六時中考えていることを

フロー、でもアーカイブとして。

何になるわけじゃないけど

書きたくなったよ

 

まずは続けてみよう、

ゆくゆくは仕事のことなども

載せていきます

 

 

無理はしない