窓付きの、

人生の備忘録までに。とくに面白いことは言いません。

近似

 

 

「哀切を怒りで近似しない」
という言葉が好きで。

 

何されても怒らない穏やかな心を持とう、

という意味ではなくて。


簡単なことは選びやすい
だからこそ、その選択に膝を折らないでいよう、
という考え。

 

感じているのが果たして本当に「怒りかどうか」は
自分自身で見極めたいものですね。人間なので。
(大凡「哀」か「切」に分解される気がする)

 

怒りは手段であって目的ではないから

それがすり替わってる人を見ると

かまけてると思ってしまう

 

 

人の悪口もそう

人の悪いところを その人のいないところで

言うこと自体が目的になっている場面がある

そうじゃなくて その先に何か

解決という目的があればいいのだけど

 

 

あの人はきっとこうだよ

こういうところがあるもの

ね、そう思わない?

 

というのをなんでわざわざ

人とシェアせんといけんのやろう。

それぞれが思っておけばいい。
 

哀切が怒りに近似されずに

咀嚼して哀切だったら

シェアしてもいいと思う

 

痛み分けは 社会的生物が 身を寄せて生きていく術

でも 歪んだ同調圧力は 人間の汚いところ

 


怒りの感情自体が悪いわけじゃなくて
もっと咀嚼したその先にこころの正しい反応が
見えることもたくさんあるよね、

怒ったらそこで頭打ちやけなぁ

の話でした。