窓付きの、

人生の備忘録までに。とくに面白いことは言いません。

梔子

 

 
同世代の人の自死が続いた

 

これ以上生きられないと
判断したほどの苦痛があったなら
今、その選択を経て少しでも
楽になっていることを願うばかり


ただ、いずれ必ず来る死を
自分で早めるという以外の選択を
周りに奪われていたなら 胸が痛みます

 

「なぜ死んではいけないのか」

 

という議論自体には少々疑問も感じます

要不要論と幸福論が
並行して交わることのないように

自死が「罪」であるかどうかという議論であれば
「(生が道徳的であるという前提で)
社会的に基づく倫理観で判断すると」罪かもしれません


そもそも倫理という概念がなければ
非倫理だとされることを位置付けられないので
倫理という言葉が存在するのは仕方のないことですが、
(これは、差別という言葉が差別的ではないかという議論に
 似ているかもしれない)
それでもたまに、倫理て何やねんと思ったりします


自死を「選んではいけないのか」という議論であれば
私は強くノーだと言いたい。
誰しもが生きて死ぬ自由がある


死は必ず来る

死は生の対極じゃない

死は必ずしも生の延長にない

生が死を含有してるだけ


多様性が認められるこの時代に
倫理もひとつアップデートされることを強く望みます